甲斐の甲府を見て周る

 城・神社・仏閣巡りで色々行ったが、甲府は比較的に近いところなので後回しにしていた感があるが、この辺りも紅葉の季節なので訪ねる。
甲府といえば、言わずもがな武田信玄であり、その居城である躑躅ヶ崎館跡(武田神社)と後詰城である要害山城址と信玄の庇護を受けた五山の寺院と、信玄とは関係ないが近世城郭である舞鶴城址と見所はたくさんだ。

 甲府駅について、先ず南口の信玄銅像を見てから舞鶴城址を見る。甲府は豊臣政権時でも江戸期でも重要拠点だったので城の規模や石垣は立派だが、天守閣があったかどうかは不明だという。城址前の道路で線路を渡ると城門が復元されており、武田神社に向かう途中で見学する。武田神社には駅から徒歩で20分位で着く。紅葉が綺麗だ。本丸を囲む1重の堀だけだが、堀の周辺に曲輪を囲むように配置しており、思ったよりかは防御力は低くは無い。でも武田の規模からすると小さい城で、要害山城とセットで考えても、これでは武田勝頼が新府に城を遷したくなる気持ちも判らなくは無い。ちょうど軍旗の孫子の旗を公開中で、館内は写真撮影禁止だが、旗の隣の信玄像は撮影okなので、一緒に入る形で撮った。




 武田神社を出て要害山城址に向かう。ちょっと距離があって駅から武田神社までの距離よりも少し離れている。バスが当分来ないので歩く。積翠寺が見え、此処は信玄生誕の地だそうだけど、要害山城址の山頂にもそういう石碑があるので、どっちで生まれたのかは不明。積翠寺を見るのを後回しにして、ホテル要害の入口の近くにある登山道から要害山城址に向かう。余り下調べしていないで行ったのだが、少し前に上杉謙信春日山城址を登ったのでそれよりは楽だろうと思いきや大誤算、要害山城址の標高は780mなのに対して春日山は189mしかない。高尾山だって599mだ。もっとも標高はあくまで標高で、麓の標高が高ければ実際の登山分の高さは低くなるが、春日山城址よりもきついのは間違いない。結構、遺構は残っているが、城好きでないと単なる山でしか無い。

 麓へ降りて積翠寺を見て、甲斐五山の1つであり武田勝頼の墓(歯髪塚)のある法泉寺に向かう。ここは武田神社から要害山城址程ではないが離れた場所だ。そして同じく甲斐五山の1つの円光院へ。ここは信玄の正室の三条夫人の墓が有る。円光院から駅に戻る感じで少し歩くと信玄火葬塚と河尻塚がある。有名武将である信玄と違い、織田家臣でも柴田や羽柴などの有名どころと違ううえに武田滅亡後の甲斐で悪政を敷いたそうで、本能寺の変後の反乱で討たれた河尻秀隆の塚は寂しい場所にある。大泉寺に向かう。此処には信玄の父の信虎の墓が有る。

 大泉寺を出て南下し愛宕山のトンネルを抜けて甲斐善光寺を見る。流石に大きい寺だ。此処からは甲府駅に戻る経路を向かいながら、残った甲斐五山の残りの3寺院に向かう。東光寺には信玄の長男の武田義信諏訪頼重の墓が有る。ここの紅葉は綺麗だった。そして能成寺へ。最後に長禅寺を見る。長禅寺は信玄の母の大井夫人の墓が有るが、大きい門や五重塔が2基あるなど寺院としても大きい。ただ今は改修中のようだった。これにて今日の旅は終わり。