二俣城址と吉田城址を観た

 掛川から天竜浜名湖線二俣本町駅の二俣城址松平信康の墓がある青瀧寺に行った。駅から二俣城址までは大して距離はないものの、途中に案内などは全くなく、スマホGPSが大活躍する。
二俣城址自体は天守台と本丸の土塁、二の丸辺は比較的よく残っている感はあるものの、地図でも城跡の表示もなく、天守台がなければかつて城だったとは判らないだろう。

 メインは松平信康の墓がある青瀧寺だ。なんせ徳川家康の嫡男で、死に至った経緯や、その後の埋葬には色々と理解不明な点も多い人物だ。ちなみに光栄の信長の野望だと、家康の息子たちの中ではやはり一番か。親父ほどではないものの、合戦能力も治世能力も有り、合戦能力に比重が高い結城秀康や、関ヶ原で合戦能力を落第点にされたが治世能力は高い徳川秀忠、合戦能力も治世能力も有るけど、信康ほどはない松平忠吉とかと比べると、使い易い。ちなみに織田信長の息子たちは皆余り能力は高くない。

 松平信康の墓を観た感じで言えば、言われているほど質素でもないよなあ、と思った。そもそも徳川家康という人物は、関が原以後の子供にはそうでもなかったそうだが、余り息子達を可愛がったという事はないらしい。他家への養子となった結城秀康や配流された松平忠輝は別として、松平忠吉の墓に比べれば良いのではと思う。それはそうと、青瀧寺の幟には徳川信康との表記が。後で調べると、家康が徳川性を得たのは信康の死の前で、徳川性を名乗ったという説も有るらしい。


 青瀧寺から二俣本町駅に戻る際も、案内もなくスマホGPSが大活躍する。新所原まで出て、豊橋駅で下車。本日最後の目的地である吉田城址に向かう。ここもそう遺構が残っている方ではないが、本丸を囲む石垣が良い。