島原城址と原城址を観た

 少し仕事が空くので夜勤明けの後、シャワーだけ浴びて仮眠を取らず島原に向かう。目標は島原城址と原城址を観ることだが、ネックなのは原城址で、島原からバスを使うが、本数が少ない。タイミングが良くて島原についてさほど待たずに原城址に向かうバスに乗れた。島原から原城址はバスで1時間位かかる。到着後、帰りの便の時間を確認して城址に向かう。途中に日野江城址というのが有るが、原城址は日野江城址の支城で共に国史跡であり世界遺産候補に挙げられている。
 原城址は島原の乱一揆側が籠城、鎮圧された所であり、日本の城の歴史上のターニングポイントだ。支城の割には規模が大きく、もしかしたら一揆勢が籠城した際に三の丸や他の出丸は拡張されたのかも知れない。国内最大級の虎口遺構があるのだが、元々支城だった城にそのような物があるのは不自然だ。これも一揆勢が拡張したのだろう。二の丸と本丸の間の空堀一揆勢により構築されたと書いてあった。
 本丸には何故かNHKの放送車両と大勢の人、十字架の前には変な集団が居て、なんのTV取材だろうと思っていたが、夜のニュースでユネスコの調査が行われていたと報道していた。


 原城址を出て島原に向かう。島原城址は一揆勢の攻撃に耐えた城で、堀も広いし石垣も立派だ。5重の天守は非常に稀であり規模も大きい(現在のは鉄筋コンクリート造)。九州の外様に睨みを利かすためだと思うが、それを作ったのが4万石の大名では明らかに身分不相応で、一揆の原因にもなった。立派な天守を持つ割に堀は一重しかない辺りは小大名の限界なのだろう。