久能山東照宮と駿府城址と石垣山城址と小田原城址を見てきた

盆休みの初めは豪雨・・・そして地震地震はともかくとして雨は旅行にはきつい。写真写りもあるが、特に山城だと道が危なくなる。休みが始まる前はいろいろ構想を練ったが、結局は泊りがけの旅行は止めた。
静岡で地震があり、駿府城址の堀が崩れているのをニュースで見て、見に行くなら良い機会だと不謹慎だが思った。静岡なら日帰りで十分に行ける。久能山東照宮駿府城址を見て、その他も見る余裕はあるが、掛川まで行って掛川城址を見るか、石垣山城址を見るか悩んだが、掛川から先は浜松城址や岡崎城址など見たい城はまだあり、この辺は名古屋方面の出張時に行けなくも無い。石垣山城址に行くなら、山中城址もと思ったが、やや最寄り駅から遠いいのと、毎年5月に祭りがあるので、その時にしようと思い久能山東照宮駿府城址、石垣山城址そして時間が有れば小田原城址を見る事にした。

地震発生の翌日。朝5時位の始発乗車。東海道線を使い8時位にJR清水駅を下車。ここから久能山下行きのバス停を探すも良く判らず。交番でお巡りさんに聞く。なぜか駅前のロータリーにバス停は無く、少し離れた場所に道の駅みたくバス停が固まっていた。無事久能山下に着くも、どこが参道かを示す案内が無い。山頂の一の門の向きから参道の場所の目安を付けて移動。鳥居をくぐり、噂の石畳の階段を登るが、大して苦労も無く一の門まで到達する。ネットの情報だと登るのに大変だとの声が多かったが、全然大した事はない。あの程度で大変だと言うのは普段余程運動不足なのであろう。高尾山や八王子城址の方が全然きつい。
一の門を通って東照宮まで行く途中に山本勘助が掘ったという井戸があるが、勘助が討ち死にした川中島の戦いの後に駿河に攻めたのだから、辻褄が合わない。東照宮に入って家康公のお墓を参拝。遺体の全部が日光に行ったのか良く判らない。博物館の展示物に感激。写真ぐらい撮らせて欲しい。帰りのバスの時間に間に合うように階段を駆け下りる。下に着くのに6分程度で行けたが、これで足を痛めてしまった。この時は大した事は無かったが、あとあと痛くなって来る。

久能山下から静岡駅に向かうも、直接行くバスは無いので、大谷で乗り換えて到着。駿府城址の石垣は、ニュースで見た二の丸の堀の他、外側の堀で一部崩れていたが、後は損傷は無かった。駿府城址は大手門の辺りは復元されている。天守の復興計画もあるようだ。一通り見て静岡駅に向かい、東海道線で神奈川へ戻る。

石垣山城址はJR早川駅が最寄り駅で徒歩だと30分ぐらい。山城なので延々と坂道を登っていく事と成る。ようやく到着。思ったより石垣が残っているのと、曲輪を有している。また、結構、観光客が居た。この辺りからだんだん足が痛くなって来る。

石垣山城址から歩いてそのまま小田原城址へ。時間は夕方だが、日もまだ長いので、なんとか行けそうだ。ここは小学生の時に来ている筈なのに、全然記憶が無い。天守や門や馬出など復元され建物も多く、駿府城址よりも城の体裁がある。小田原駅繁華街中にある北条氏政・氏照のお墓を見て帰る。足はもう少し引きずる感じになっていた。